2017年7月23日日曜日
乗合馬車の六里(七月二十三日)
二十三日、朝六時半、一行馬車に同乗。浅間を出発して島々に向かう。松本市を横断し、島立、新、波多の村々を通過して島々谷に入るのだ。松本から行程五里。野麦峠を経て飛騨高山に通ずる郡道の踏み出しで、路幅も窮屈でなく、勾配らしい勾配もなく、知らず識らず山近くを上って行くのだが、元来石高な田舎道に、しかも砂利が多く撒き詰めているので、車体が踊ること甚しい。束京の自動車乗りのいわゆる馬場先内の玄海灘を乗りなれたくらいの修養ではちっとも安定が保たれず、前後左右に不均整に揺りたてられ、お隣りとの衝突は刻々のこと。お向かい同士が一人はガックリお辞儀をすれば、先方は後頭部を幌框へゴツンとやる。腰掛けの表面と臀部のえん面との波行運動がかなり複雑な交渉を続けているのに、激烈な上下動の襲来に対する身構えがまた容易なことでない。どうもすれば臀踊ること三寸でドシンと来る。双脚は反射運動を起こしてどなた様やらをけったりする。全く地震学実験室に閉じ込められたようで、ゆるやかに静止状態におかれるのは、輓馬が小便する間だけだ。
沿道のところどころに田舎家の群落が縦に横に放縦な列を作っている。大きいのは農蚕家で、物を売る家はたいてい小さくて平べったく、仁丹とクラブ化粧品の屋根看板が思う存分に跋扈している。買い物を手にして便々と立ち話するかかあ衆よ、早く帰って麦をつけ。尋常一ニ年程度の児童は競って洋服に敬意を表す。中にはうっかりしていて、後から車前へ駆け抜けざま喘々とおじぎ一番、笑って義務を果たした顔をするのもいる。けたたましい声を出して馬車を呼び止め、乗客などは眼中におかず、娓々喃々として御者君に何事かの伝言を依頼する年増女もいる。野良稼ぎする村娘は、裾短かく甲斐々々しくも、帯は友染に、たすきは赤いのが、青い世界に風情を持たせる。土地柄も困らないと見える。笠を着ず、姉様かぶりが多いのは、若い女の髪の乱れを厭うしおらしさか。繭を煮る匂いと、生糸を繰る車の音が断えてはまた続く。
波多村に入って、道、国有林を貫いて走る。散々たる老松の密林である。鍋割付近が最も佳致である。大觀先生が好んで描くようなヒョロ高い幹の奇しくクネリくねった赤松の並木路が、行く方に垂れ交した緑葉の技越しに乗鞍岳がほのかに隠顕するあたりは、思わずややと腰が浮いてひと揺り大きく揺り落とされる。乗合馬車の道中は楽でない。御者のムチがしばしば鳴り、前程は刻々短縮される。里を恋する葉山の裾がスルスルとのびて来て波多の部落を抱擁するのを左に眺め、右方には高瀬の鳴る音がして、むら立ちの樹間から梓川の白い河原がチラチラ見えて来る。田屋、上野、花見、八景山などの部落が川に沿い、山に寄り、集散点綴、指呼の間に展開する。上海渡を過ぎ、山根について梓川畔に下る。遡るに従って視野はようやくはき、上下二三にして新渕橋に達し、ここで東筑摩郡に別れ、橋を北に渡り、南安曇郡に入る。岸は直ちに山で、そばを切り開いた達路がうねりを打って西に走り、一気に峡谷を押し出して来る。白泡をまいた激流は、崖角を衝き、岩礁を咬み鳴らして怒り狂って奔下する状、山の世界の関門にふさわしい光景である。少時で島々着。午後十時半。悩ましい馬車を清水屋の前で乗りすてた。