2017年7月29日土曜日

中房温泉(七月二十九日)前編

 ここは縦走路の終端。もうあと三里の眼の下が中房だ。一行元気を鼓して降る。灌木帯は間もなく尽き、森林帯に入て、少時して参謀本部測量地点に来る。ここから下は林道が通じていて、だんだん降りが楽になる。
 人情は妙なもので、島々を一歩山路に踏み入って以来、つい今の前までというもの、登るべき嶺、渡るべき尾根の続く限り、一行の口に上る話題は、峻嶺踏破の壮快なことや、へたばって苦しかった事や、前途の険難の予想や、大自然に対する嘆美や、笑うも、悄気るも、俗情離れがして、設し、ホームシックの気配くらいはあったとしても、それは互いに内分の事。登山趣味は男性的で、大に奨励鼓舞すべきだなと、へとへとの脚を引きずりながら、充分に緊張した気分でもって、脱俗高踏的な登山家の威厳を保持して来たものだが、それがどうだ。燕の分水嶺から、一歩帰路を東へ踏み出し、松本平を吹き上げて来る風に一撫で吹かれたかと見ると、俗情一時にぱっと開き、がらりと世界が変わって、出る話も、出る話も、婦人の事ばかりだ。もっとも、今まで雲や霧ばかり吸って、嚥脂の匂いさえも嗅いで見ないのだから、かかる念調の女人礼賛も無理でないが、紳士の分として、話柄は無論上品で、洗練された含蓄の深い物だ。各地美人の比較研究は、持ち寄の材料なかなか豊富で、好尚の偏する所、お互いに異を執って下らない。浮世絵の清方さんの描く美人は、どれもこれも出来上って見ると、美人の細君の容にあやかって来るという事。ここ諸君の舌頭に浮動する美人の幻影は、諸君の何にあやかっているのか。憾むらくは、一粉本を見ない。むかしの風流人は克明なもので、蓑笠日記などには、名古屋女の尻の大きい究所まで、ちゃんと書き留めてある、離諸君はさきが長い。せいぜいた修養する事だ。
 途中はこんな風で、他愛もなく笑い興じて来たが、丁度この日あたり、東京の私の事務所では、私の言い置いて来た通りに、私の鐘紡持ち株全部を売り尽くしていたのだ。私の出発前から、じりじり景気づいて来た鐘紡株は、かなりの相場までせり上がり、一寸一服の姿で、なんとなくもう一上値ありさうな模様。予々鐘紡持ち株は手放すつもりであり、今が好機会と見たので、私は見込みの予想値段を立て、私の出発後、その予想相場が出たら、ある株数だけ売り放す事、なおその上にも上値が出たら、五円上る毎に、ある株数ずつ、分割して売り放す事を係員に委嘱して来たのだ。それが予想通りの上値を出したので、係員は私の指図通りに、五円上る毎に、所定株数を売り放し、丁度私の中房下りの頃までに、一万何千かの私の鐘紡新旧持ち株全部を売り切ってしまったのである。ここが人事運不運の岐るる微妙な究所だ。私の出発当時の市場の状勢では、第一予想値が、まずもって天井と見るべき所、また私の手放しても宜いという売り頃の相場で、それ以上の吹き値は当てにならず、万一にもという烟のような期待だから、もし私自身東京にいて売る日には、最初の第一予想値で皆手放すか、一つ首をひねっても、次ぎの五円上りで、大概売り切ってしまったに相違ないのだが、係りの者が、命ぜられた通り、幾回にも分割して売り放してくれたので、予想以上に私が儲かった次第だ。ずっとその後になって、またまた鐘紡株が新値を吹き出した時から見返せば、少々儲け損ねた観もあるが、それではあまりに欲深いというもの。ちっぽけな何万円かの福袋が、私の肩の上に載っかっている事も、何にも知らずに同行諸君と共に、大いに美人論を上下しつつ、私は山から下って来たのだ。