2017年7月22日土曜日

浅間温泉の一夜(七月二十二日)

 午後四時、松本着。志立、後藤の両君はまだ見えない。私たちは、荷物は大部分駅前の旅舎飯田屋に託し、ともまず予定の旅泊地浅間温泉へと人力車を急がせた。浅間は松本から約一里(3.9km)北東の山麓にある。海抜二千二百尺であるが、松本の二千尺から二百尺の登りとは肯かれぬ緩い勾配だ。温泉町の入口左側正面、まず仁丹の広告でもあるべき個所に、悪車夫御注意の素敵に大きな掲示がある。これも来遊客大切からの事だろうが、既に乗るだけ乗って来て、到着になってから、どう注意すればよいのか。気が利いて間が抜けていると言うのがこのこと。用をなさぬ手数をかけていたずらに土地柄の良くないところを披露するよりも、他に穏当で有効な方法がありそうなものだ。私たちは、悪車夫にぐつられる不愉快な目にも遭わず、目の湯旅館に打宿した。
 百数十戸の狭い街のだらだらとした上りの両側に、温泉宿が軒を列ねている。屋号を記した掛け行灯の田舎びた草屋根の、木賃御泊り程度のザッとした古色を帯びたのが多く、つかみ療治の座頭の坊が看板の按鍼術は、どう考えても場所錯誤だ。目之湯旅館は町を九分通り上った地点にある。桝形風の門のかかり、物置、塗籠の土蔵、ひさしが垂れた母屋の見附きが、宛としてお庄屋様の住宅だ。梁間十何間建て通し、総二階、別玄関の病院のような新館が、一流旅館の權式を示している。温泉は単純泉ですこぶる清澄。炊事用にも供せられる。湧出口の分布広く、各旅舎に内湯の設備があり、農家の庭にも湯の池を湛え、馬までも心地よげに裾を浴してもらっている。昔は善光寺詣りの衆で繁盛したものだとやら。今は松本市は言うに及ばず、付近の村方の、官吏紳士物持若い衆の、日帰りまたは一夜泊り込みで賑わい、のんびりした湯治場気分が撹乱され騒々しい遊楽の巷と化している。数十の芸者は宵の口に出切ると言うから、一般の情景が察せられる。車夫君なども、松本の遊郭からここの方が軽便ですと得意の色をほのめかしたものだ。山国の鮮味に乏しく、鯉魚の洗いが自慢だが、むしろこの地の豆腐こそ天下一品とも言うべきで、温泉の質が豆を煮るのに最も好適だと言う。学者なら何か発見がありそうな題材だ。
 風通しの良い階上に一浴後の涼を納れた心地はまた何ともいえない爽かさだ。四方は山で、どちからでも風は吹け、そよそよと吹け。風薫る松本六万石の盆地は一望の下よ。夏の日の入りが、てにたゆとう下に、蜿蜓として南北に緩やかに急に空線の起伏を描けるのは、これぞ目差す槍ヶ岳の神秘境を遮蔽する常念山脈の大障壁である。中央に一切鋭く抽出される常念坊の三稜峰に続いて右に大天井以北の鋸歯を刻み、稍や北に富士型の隆起を見せているのは有明山である。常念の左り肩と鍋冠山との間に、槍ヶ岳の尖頭微かに浴界を覗いているということだが、視力がはっきりしていない者にはそれと見分けがつかない。鍋冠は名称が示すとおり、鍋を伏せた形の密林に包まれた黒い頂だ。これと南に並んで.鈍状の嶺頭を露わしているのは蝶ヶ岳である。晩春初夏の交、蝶々形の残雪を留めるのでその名ありとか。日本北アルプスの、いずれは厳しい踏張った名の山々の中に、爺ヶ岳の名は親しみがあり、燕岳とこの蝶ヶ岳とは、その調に優しみがあるが、本場のアルプス連峰中のユング・フラウなどという、聞くからに高雅優麗なものと比べるべくもない。日本アルプス中にもこんな佳名の一つ程はなど欲も出るが、しかし本場の俗悪化はうつしたくないものだ。夕霞をこめて、遠近の布置きさだかならず、ただ見る一枚の押絵の如く、蝶ヶ岳以南の線は、漸次垂下して梓川峡谷に入り、対岸をさらに鉢盛山の円頂を起こし、峡間の窮ったところ、はるかに飛騨乗鞍岳の雄姿が橙黄色の天際にクッキリと浮き出し、遊子の心魂は恍惚として溶れ込んで行く。
 後藤君は薬籠を吊り下げてやって来た。志立君は、さり難い所用の為にこの行に加わりかねると言う伝言だった。君の洗練された経済論財政論とは別様な自然観が聴きものだと大いに期待したのであったが、来られないとは残念なことだ。後藤君は、少柄で華奢な、一見新派の舞台にでも立ちそうな、そして、目元からも口元からも、手ぬぐいをさばく手の平の先からも、瓢々たる電波を漂わす快活な若い紳士だ。登山能力検定済か否か少し危惧されないでもないが、当人の存外綽々たる様子を見れば、脛に覚えがある者として敬意を表さねばならない。好侶伴を得て、一行の興趣頓に加わり、晩餐後の歓談は、槍から燕を万遍なく往復する。突如として演出するドタンパタンの一場面。ほい逸らした、そら捕まった。捉えた小雀一羽。迷って来るに事欠いて、こんな勇士の群中に飛び込むとは何事だ。最も跳躍を極めた殊動者は佐々木君らしく、天野君についで角田君も相当に奮闘し、新来の後藤国手も敏捷な闘手であった。論功行賞は。さあさあ諸君、お休み給え。