2017年7月22日土曜日

同行四人木曽路から(七月二十二日)

 甲斐々々しい軽装の同行四人。履きしめた草鞋はまだ泥土の匂いも留めず、ゴトゴト汽車に運ばれながら、脚下に岫雲を踏んづけてでもいる気の登山気分を漂わせたものだ。天野、佐々木両君は、もとより自慢の山の子自然の子と、てんでに「俺の槍ヶ岳」という顔つきだからおかしい。ちょっとした気焔がこうだ。

 山岳巡礼のありがたみはとてもロ舌で説明し得るところでありませんが、月並みに言って、堅忍不抜の精神を鍛える事と、物事に対する注意が周到締密になる事と、自身で自身の事を処理する習性を養う事と、例えばです、汽車弁当の煎り島の様な、ほんのチョッピリした付け合せ物でも相当にありがたいはずのものであります。いわんや、一度神秘の閂を排いて、大自然の崇高厳粛に打たれてご覧なさい、言語道断摩訶不思議の体験に、更生の大歓喜が頭のてっぺんから足の爪先まて満ち満ちて来るのです。ああ、人間は何んですか。金が何んです。女が何んです。しかし我々は人間てす。相当に金もいり、女と絶縁することも不可能です。けれどもですな、せめて登山前の半月と、登山後の一月だけでも、言い知らぬ霊感に浄化されたそのままの心情で、擾々たる俗世間の物欲から解放され、愉快に業務に没頭する底の事は、山岳巡礼者にとりなんらの誇張でもありませんと。

 言や大いに可なりと。半月一月のあたりが殊に至言だ。道心堅固の行者ぶらず、大悟徹底せぬところに味のある人間値を卒直に打ち出して来るなどは、やはり山の子自然の子の面目が躍っている。
 角田君は初めての巡礼組で、外見は強靱な素質らしくもないが、自身が保証するところでは、脚力は確かなそうだ。郷里の名山、妙義も、榛名も、あの山も、この山も、デッカンショで跋渉したものだという学生時代の古い誇りを持っている。私は申すまでもなく、新規合格検定済の晩成者である。予習のおかげで体重五百匁(1,875g)を減じ、十六貫(60kg)が、十五貫五百匁となり、詰め襟半ズボンで別人のような身軽さを覚え、早く山の土を踏んでためしたい初心らしさだ。
 いつも通る木曽山ながら、今日は殊に風趣が鮮やかである。汽車は、木曽川を右にし左にして、おもしろく景物を展開して進む。紺碧を湛えた深沢は無限の生命を潜め、磐根をどよもす奔端は不尽の力の麗しい象徴である。厳粛にして私せず、動かぬ者には一物さえ与えないが、働く者には全量を尽くして吝まないのが自然の意志だ。私達の電気事業が、この川のあらん限り、その全恵に浴し得ることを、私達は、宏量な自然の前に、衷心から感謝しなければならない。御科の檜山は、鬱々と思うさま黒み渡って、迷子のような流れ雲を脅かしている。恵那山の後ろ姿は、眠を斜にして眺めて通るが、まさにたんたんとする虎の脊のような木曽駒が隠顕するあたりは、山颪の風が眉を圧して吹きつける。上松駅で下車する乗客はおもに御嶽詣りの衆だ。御嶽は、富士山の頂を圧潰した形で、ぐっと横幅を広げて沢山の同者を迎える。寝覚の床は客引の番頭の格だ。これらの同者は、家内安全七難即滅、養蚕が当たりますよう、現世利益に浮かれて行く。後世安楽を欣求する善光寺詣りの善男善女は、まだ車中にいっぱいだ。水晶の数珠を耳たぶに引っ掛けて弁当を使うなど、その人らしくて、如来様請け合いのお結脈にひかれて行く。私達巡礼一行は、ただ草臥れに槍ヶ岳を指して行くのだ。
浅間温泉の三階より