2017年7月29日土曜日

中房温泉(七月二十九日)後編

 十二時半、いよいよ中房温泉着。湯の香、人の香、大変に下界の匂いがしているが、ここ海抜四千八百余尺の澗底、有朋山(七、四八四尺)の背面西麓の一小盆地。人里はまだ東面数里の下の方だ。
 温泉旅館は、百瀬某氏の経営。某氏、以前は県会議員も勤めた人で、摯実なる人物。営利主義でなく、諸事簡易に静養者の便宜を図っている。我ら一行は、新営の別館に迎えられた。物質の不自由は言うまでもない。一行中の佐々木網雄君、先年も立山登山の帰途、当館にやどり、茶碗蒸ひとつ注文して断られ、大いに激昂して厳談に及んだ所が、玉子は玉子でも、乾物屋の店頭でちょっと買って来るとは違いますぞ、病者か、予後静養者の、普通の食餌を取ることができない人のために、五里の山坂を牛の背で運んできた貴重品、山中駆け巡って歩く韋駄天のような頑健な方には、一個が、半個でも、金銭にかかわらず、侑められ申さぬと、手厳しく極めつけられたとて、今も当時の談判破裂の光景を追懐して、相手のない憤慨もすれば、仁に近い館主の腹を感服もして、二様に首を振り分けて見せたものだ。我らも贅沢な注文など止めの事々。
 なにはともまず、一湯浴びて、久し振りの畳の上に、思うさま長が長がと伸びを打った心持ちは、安慰、怡楽、人生の有頂天。何とも言えたものでない。そうそうたる中房川の水音を、聴くでもなく、聞かぬでもなく、ただとろとろとなって、青嵐の肌をおかすに任す。富も名誉もと言いたいところだ。
 夜に入って、偶然の一事件が発生した。と、これはいくらか艶っぱい方で、昨夜来、浴客中に病者あり、困り切っている所へ福沢一行に同伴の医家ありと聞き、館主を介して来診を懇請して来た。その病者というのは、東京者の若い婦人だと来たから堪らない。後藤君即諾快諾。すこぶる得意の色を示すと、さあお医者さんでない方の側が佛いてきた。こういう際に医家独りその特権を享楽するは人情でないのだそうで、いやしくも堂々たる北里養生園の医員である先生が、安直に単身で出向くなどは、見識にも拘わる次第、是非とも助手一名帯同の必要ありと、強談でお供の押し売りをやったのは村井君だ。先生は小柄な花車姿。助手はちと変骨あり、先生の小型の旅行用医療鞄を土木流に引っかかえたものだ。夜風が冷りとするので、両者温袍がけて揚々として繰り出したのには、全く腹筋を撚り合わされた。。多時あって、後藤君が帰って来ての報告はこうだ。患者は東京近郊の某大電気会社社員の細君。郎君に伴われて昨日来湯。馴れない山路を歩いて来たので、すこし局所に炎症をおこしただけの大した事でなく、応急の手当てをして来たが、弱ったのは村井義勇助手。変に先生を重んじた無器用な手振りで、体温計を出す。聴診器を出す。終わり。郎君たる男子、すこぶるその意を得ざる眼使いをしていたので、さすがに茶目気分横溢の後藤君も、少々こそつばい思いをしたそうだ。そうしてその患者である婦人は、新婚匁々らしく少し輪郭の整った顔の、色白のところへ、熱気でぼうと紅潮し、ぱらりと毛筋が頬に懸って心もち眉をひそめた容子は、まあ一寸ねと、後藤君に気を持たせる。素敵だぞと村井君は真向から浴せる。うむと素直に聴いてる人もあった。
茶目と、野次は、東海道ばかり通ると限らぬ。