ここより道を有朋駅に取り、十二時半、信濃軽鉄をキャッチして松木へ向う。道行く老若、車中の男女。人皆が見識り越しのような気のする人懐かしさだ。けれどもこの辺の人達は、異装の登山客など、あまり眼に馴れ過ぎて、一向に気に留めぬ風なのが、我ら飽かず物足らぬ心地がした。
松本駅にて一行と別れる。角田、佐々木、天野、村井の諸君は木曽路を後藤君は中央線で、私は一人長野から碓氷を経由して、三十一日、伊香保へ着いた。
木暮旅館の三日というもの、香山の風光に親しむでもなく、疲労のために、只昏頓として、昼も昼寝だ。眼に浮ぶものは、一万尺を吹きつ掠むる雲の徂徠。そと耳朶をこそぐるのは、可愛い声の「おじいちゃん」。そうそう、西園寺公爵へ竹杖のお礼を。
木暮旅館の三日というもの、香山の風光に親しむでもなく、疲労のために、只昏頓として、昼も昼寝だ。眼に浮ぶものは、一万尺を吹きつ掠むる雲の徂徠。そと耳朶をこそぐるのは、可愛い声の「おじいちゃん」。そうそう、西園寺公爵へ竹杖のお礼を。