燕の頂点は、ここからわずかに直立にして二百余尺。手のとどくほどの高さ。はっと動悸つかす底の険難もなくて、のんびりした登山気分が味わえる。山貌も麗しい。陽光流れる細砂の斜面は、白に朧ろの灰色をぼかし、風化した花崗岩の奇険秀抜、疎に密に絡む偃松の風趣、工まずして妙である。高距九千百十八尺の突端をなす一物は、これぞ土音『ちばくろ』の奇岩。すんなりした玄鳥の後姿と見れば見えるが、天狗の鼻を押し立てた形という風が分かりが良いようだ。すべりまつわる偃松の茂りの上に、背丈三つばかり、にょきっと立つ。小鼻の辺りまでは人が登れる。展望は四方かけ払いの、やっぱり中心は槍ヶ岳だ。左には大天井、右には蓮華、鷲羽の連山を従え、すっきりと一頭首を抽んでた劃線の勁抜さ。鹿の子斑らの文様を白ろ白と刷り流した残雪の彩りの鮮やかさ。がりがりに北面の絶壁を削り込んだ谷底を割って、南より、西より、水俣湯俣のえんえんたる断崖の水路を通じ、二水会して北流する高瀬川渓谷の風光は、ほうふつとして四千尺の眼下をめぐる。ここ燕岳景勝の眼目。一水通じて、万趣整う。平凡な発見だが、景色は水を得て活きて来る。
小屋場より上下一時間ばかり。降りの砂上滑走は、少々転んでも安全。両脚を前に投げ出し、ソリにして滑り下り、尻で梶取る妙技なども見受けたようだ。
小屋場より上下一時間ばかり。降りの砂上滑走は、少々転んでも安全。両脚を前に投げ出し、ソリにして滑り下り、尻で梶取る妙技なども見受けたようだ。