二の股は、島々の谷川の北谷と南谷との合流点である。林道は当時ここが終点であった。小林区署所属の小舎がある。ここで一服して左へ南谷を上る。
合流点から上は、道も、渓も、流も、すべて半分の狭さとなった。水は流れると言うよりはむしろ、奔下の勢いで渦を巻いている。山側はほとんど掌を立てたというそのままの姿である。密生した広葉樹、下生の灌木叢、押して貼りつけたように夏の山姫の衣の文を、緑の色が濃く淡く織りなす清々しさ。道はだんだん上り下りするようになった。間近では、怪獣が吠えたけるような渓流の激声が、上りにも下りにも、その一歩一歩毎に、えならぬ階調を奏で、われらはさながら巨大なオルガンを踏んで行くようである。
一里ばかりで瀬戸の滝に到る。高さは丈に満たないほど小規模だが、滝の名の権威で、ごうごうと磐底を鳴らしている。水と岩と、差し伸べた樹枝と、それだけあれば大抵は景物のまとまりがつくもので、入峡第一の回顧として、ここも一顧の価値はある。下流渡橋の少し下手に、これはまた巨大な孤岩が渓流を塞いでそびえ立ち、水は辛うじてこれをめぐり通じている。高さ三間もあると思われる、例の奇岩型の苔むし具合などは、注文通りだ。上面には、種々の小樹が布置おもしろく立ち並び二三榧とも見えるが、樹幹三尺左右にして、轟々として凌雲の概を見せ、釣り合いよく枝を張り渡せる態などは、盆栽式の無理がなく申し分のない風趣である。この一個の渓底に棄てられている、人工のまざった自然の奇を、いくらばかりの富をなげうって園中に模成することなどできようか。到底人工は物にならないし、第一そろばんが合わない。自然は無鉄砲な贅沢者だ。案内者に問えば、別に名は無いという。無名にしておくのはもったいない。瀬戸蓬莱とでも名づけたら良かろうと、誰やらが捻り出した。月並だが、まずまずそんなところか。角田君の発案らしい。佐々木、天野、村井の諸君はさすが山岳通人で、なんだこんな物かといった貌だ。やはり角田君は山の初心者らしく可愛いところがある。後藤国手においてはいつもこんな具合だが、不得要領に微笑を見せていた。
鮖留は、ここから一息の近さだ。その名の由来である滝の姿は、小笹などを飾った岩間に上は隠れ、真珠鳴る素練の裳裾がはためいて見える。三間程は高かそうな目分量だ。ここまで山側の長壁に左右を仕切られ、ひたもの前後に細長い世界を通って来たが、ここは饅頭を並べたような山と山の懐で、多少の天地が開けている。海抜四千尺余り、さっと峰をおろし谷を渡って吹き通す、夏知らぬ風の爽涼さ。三里半の長汗をいっぺんに忘れさせる。小休み茶屋がある。脊戸の小畑の青菜は侘びしそうだ。道に沿って桂の大樹が蒼然と枝を茂らせ屋背を圧している。五人位はめぐるらしい。対岸六千余百尺の空線を走る長い嶺から斜面へかけて点々と黒ずんだ緑樹のかなりの大きさのが、植林したように行儀よく立ち並んでいる。おもに唐檜だそうだが、やがて小林区署の手にかかる運命が、ついそこまで迫って来ている。山本も当節は太平でない。