二十九日、つとに四時起床。なんにしても八千何百尺という山上の朝気の寒むさ。幕舎内にて四十四度。外の吹き曝しは縮み上るばかりなのに、今朝は角田君珍らしく大勇猛心を起して、日の出を見ようと、単身で出懸けて行ったが、間もな震えながら戻って来た。毛シャツ二三枚着込んで詰襟登山服の上へ、ネルの単衣を重ねた厚綿の丹前で着ぶくれ、二枚続き防寒毛布に包まり、大タオルの頬かむりをして、頸骨を竦めた姿は、まったくもって一世一代の演し物。芝居の台本でなら、正面岩山の書割、左右藪畳、人物どんどろ坂の親方。年末の馬市の戻り、栗毛売った金をどうにかしてしまって、懐中の淋しい思入。と、ここで一セリルあるべき所だ。後藤君はまた、偃松の岩陰に達、堆雪面をごそごそと掻き取った雪を水筒に詰め込んでいる。さすがお医者さんという職業柄、それを東京へ持ち帰って、北里研究所で分析してみるのだと言う。後日分折試願の結果によれば、右の雪の融解水はほとんど不純な挿雑物の含有を認めず、東京の水道の水よりもよほど優良で、飲料水として最も安全であるそうだ。これは登山家の参考のために特記しておく。
六時頃出発。今日で縦走もお名残りの、天気は快晴だ。尾根の南方に面した側は割合に暖かいが、北方の側は、ずんと寒い。狭い一山梁の裏と表とで、その寒喧の差、少なくとも十度程はあるらしい。
雲海という物を今日見るのが初めて。眼の下八合目のところから、綿のような積雲の層が、下界を一呑にして、むらむらと巻き騰り、巻き崩れ、揉み合い、圧し合い、入れ乱れて、漠々と展べ広がり、遠き近き高峰の嶺を島にして、神韻縹渺、頭首の向う所、脈々たる風光応接に遑がない。遥かに東から南へかけては、浅間、蓼科、八ヶ岳、富士から、甲斐駒ヶ岳なんど、打わたす雲の波のをち方に頭をもたげ、寝覚の顔鮮かに晴れている。
爲右衛門の吊り岩は、岩と岩との間なれば、底知らず落込む恐れあるような所はなく、さして危険のない所だ。まず一服にする。傍りに何という名の花草やら、しをらしい色に咲き乱れている。一匁五両もする高貴薬草だと、誰れが言お出したやら。締めた、と先頭に躍り出したのは村井君。むずとその花草を掴んでは、五両だ、五両だを連呼して、残酷にむしり取る。後藤君もちょいと五両の手を出してみる。他にも有志があったらしい。粗忽千万にも、その花草が、果して富の薬草か否かは不明。五両の相場もいい加減。生のままでか乾しての一匁か不得要領。要するに、村井君が切角の努力も、なんだつまらない事になってしまった。角田君は超然として、高き山、深き谷、風も、雲も、土も、一切清浄、空際地上汚染の痕を見ず、心境おのづから啓いて、雑念など何所かへすっ飛んでしまうと得意の三味を味っている。