2017年7月10日月曜日

登山を思い立った機縁

 人それぞれの個性から、境遇から、立場から、悲喜憂楽の種々相を織り出す人生観の難しい理屈はともかくとして、最も人生を含蓄あるものにする二大事実といえば、月並みながら、結婚と子を産むことである。この二大事実に付随して、ここに孫という者が生まれてくる。さあこの孫が可愛いやつだ。俗に子よりも可愛いという。それは無条件に受け取れないにしても、いやしくも親である者は、子を産むと同時にその子の養育という一大責任の忠僕であることを余儀なくされる。責任はもとより厭うべきものでなく、そうした責任はむしろ祝福すべきもので、純真無雑な親の愛に毫末も累すべきものでないが、責任は常に圧迫であり、親である者の愛情は、このため一種の緊張味を帯び、よしんば物質的には何ら不自由のない者でも、精神的には相応に苦労が伴うものである。ことに男子が父としての愛を経験する頃は、活社会の一員として、ちょうど第一歩の駆け出し者であるか、あるいはやや脂が乗った働き盛りであるか、いずれにしても、しみじみと子の愛を味わうには身心ともに余裕がなさ過ぎる。ところが、孫となるとすこぶる趣が異ってくる。その養育の直接責任者は父であって祖父ではない。祖父はただ間接に注意し、監督し、孫の幸福のために若い親の意が及ばない所を補ってやればそれでよく、当面何か責任という緊張味があるわけではない。そればかりでなく、孫を儲ける程の年配ともなれば、既に人生の収穫期に入ったもので、依然として活動の人であっても、これから運命を開拓して行こうという青壮年者と異なり、自ずから迫らざるところがあるものだ。かれこれ以てゆったりした心境は、孫の愛に飽満して、余念のない優しい祖父さんにならせるのである。ただ可愛いだけでなく、孫は人生の含蓄に春の日のような和らぎと温かみを招来する大切な天使である。多幸なるかな、私は大正六年、初めて一人の孫を儲けた。可愛いにも、大切なにも、それはお話の外の尊い体験である。
 さて、孫を儲けたという事は端的に祖父さんになったということである。時に五十年を余すこと方に一年。気力においても活動力においても私はまだまだ老人ではないが、可愛い孫のために遠慮も猶予もなく祖父さんにされてしまった。祖父さんと言われれば、あまり若い男子でもなさそうであり、なんとはなしに越し方を考えさせられる。
 回頭すれば、世に立っての四半世紀、短いようで長いものだ。茫々夢のような過去を持たない私は、幾逢遭、幾蹭蹬、仏のように丸くもなれず、神のように四角にもなれず、如実に福沢桃介その者で通してきた。格別世間から褒めてもらうような行蔵を念とせず、その志すところを行い、その欲するところを成すにおいて、かつて自己を偽ったことはなく、そこに大なる私の安心があり、過去に而して冷汗を絞るような悔吝がない。天下の富豪の列にはまだ至りかねているが、年来『進一歩』をモットーとして働いてきたおかげで、幸いに日常に事欠かず、一代の馬鹿をさらす贅沢粋狂沙汰なぞも、それは宗旨違いだが、金でできる程のことなら文言相応に浮世のおかし味も経験してきたもので、心ゆくばかり往時の追懐に浸り得る幸福な祖父さんだ。男子一人前の経歴としてはまず以って遺憾はない。ただ、そこにまだ飛行機に乗ってみないことと、高山大沢を跋渉する機会を得なかったこととが折にふれ物足らず、想起されてならない。かの雲陣を斬って碧落に朝する快、攅峰をわたって叡霧に露するの壮、いずれもその世間離れしたところが理屈ぬきに面白い。若い盛りにぜひ一度は試みて然るべき会心事だ。けれど私が血気な時分には、飛行機はまだろくに理論も飛べず、最近顕著な発達を見るに至ったものの、これを操縦するには特殊な技術を要し、今更お稽古も億劫である。山登りは、健脚の上下運動で事足り、今なら大抵の壮者と伍しても辟易しない勇気もある。はや孫までも出来てみれば、若い気もここ暫くのこと。二つの遺憾事の一つだけでも成し果すのは、そうだ今の内だと、ここに日本アルプス登攀を思い立ち、三年七月、少閑を利用して、これを決行することとなった。