2017年7月27日木曜日

槍ヶ岳絶巓の大観(七月二十七日)後編

 幸いに雲はまだ湧いていない。よくもこれを登って来たものだと、人情まず来路の谷間を覗いて見る。すべり落ちそうな急傾斜だ。前は赤禿の赤沢浅山(八、八一一一尺)左に一段頭をもたげる赤岩岳(九、一三四尺)。これも赤い。赤沢を東に一つ飛んで、三稜形の常念岳(九〇九八尺)は、蝶ヶ岳(八、七七二尺)を南側に控え、遠く蓼科、八ヶ岳の背景を見せている。遙か左方に浅間の噴煙はあるかなしかだ。常念の北は、東天井岳(九二七六尺)、大天井岳(九、八四二尺)から、燕岳(九一一八尺を曳く。餓鬼丈(八、七三五尺)、唐沢岳(八、六八七尺)を右岸に起して、高瀬川の水光ひた走りに北し、末は山峡のどこやらへ潜り入る。
高瀬左騎士の尤は推奨山(九、八二四尺)である。黒岳ともいう。真黒けの山だ。黒岳の右が野口五郎岳(九、六四九尺)。それと重り合って三ツ岳(九、三七六尺)の頭が覗く。三ツ岳の西に赤黒い怪奇な山体を横たえているのは赤牛岳(九、四五一尺)。名は宝の浜とはこれか。緩く曳ける黒部川上流の白一條を中に、赤牛と西に対立するのは薬師岳(九、六五五尺)で、赤牛を一傘かさ大きくした立派な押し出しである。薬師の残雪は殊によい。これらの山々を前景として、さらに北に立山連峰の相い追うような尾根は、天打つ濤の勢いを競う物々しさだ。山尽きんとして尽きず、一峰又一峰を起こし、眼界遥かなる際は、いずれをそれと視別くべき由もない。北望一幅の画図、点睛の妙は、それ雲の平か。黒岳を束に、薬師を北に、西の方上の岳(八、七八二尺)から、越飛国境を南東折して、中の俣岳(九、三七〇尺)を貫き、更に尾根を東に渡って、信飛越三国境界の要をなす鷲羽岳(九、三七五尺)を連ねた連壁周匝裏の別天地、八千余尺の山懐を押し広げて、展べ渡した高原のすがすがしさ。花草の数も豊かに、紅紫白とりどりの色、今が盛りと去る人の便りだ。神代にいう高天ヶ原をここだとする土俗の口碑は誤りとしても、ここも雲上の高天ヶ原。ふりさけ見る槍の瓊矛、かれこれ神格を担ぐでないが、吾が愛孫の将来を祝福するに、天下これ以上の境地があらうか。
 鷲羽を南に蓮華岳(九、五三七尺)を越え、長い国境の尾根を以て遂に槍ヶ岳に接続する。肩の付け根から硫黄沢乗越の辺へかけ、偃松がしがみ着いてる危岩の尾根の背が、さながら崩れ落ちそうな一続きが、天下の絶険として有名な鎌尾根の難所。これでも人間の足の踏み所があるのかと呆れるばかりだ。右の方牛首山(八、三三七尺)に通じる東鎌尾根も、いずれ劣らぬ刃渡りの剣難である。両鎌尾根を以て左右を仕切る正面直下の大絶壁は、まるで岩角と岩角との、噛み合い、衝き合い、重り合いで、ところまだらの残雪を白泡と食み散らし、容赦もなく千丈沢へなだれ込む勢いの凄じさ。めまいがして長くは観ていられない。馴れたとはいえ、天野君などは一向に平気。カメラを抱え、崖縁をへつり歩き、よい所を撮るので夢中だ。
 さて南面の分野は、穂高連峰の長い尾根が、犬牙の如き尖頭を乱立しうねりを打って縦に走らせ、笠岳は、例の厚味ある山体をずしりと乗り出し、谷間を分ける蒲田川の源流が、見えつ、隠れつ、紆余として注ぐ辺り、噴煙緩く流れる焼岳を瞰下して、乗鞍岳の肩骨を張り怒らせる状は、約束通りの構図ながら、とても人間が細工する額縁には大きくてはまらない。
 四望ただ恍として、そこともなく神魂を吸い込んで行かれそうだ。