昼飯休憩約1時間。正午をすこし過ぎて、さらばと最後の登攀にかかる。絶頂までは十五町。五町ほど熊笹原を行く。すんすんと疎ちに枯木が立っている。十町ばかりは崔嵬とした焼岩登り。ともすればざくりと砕岩を踏み崩す恐れがあるが、見た程危険ではない。徐々に徐々になるべく大ぶりの所を踏みしめて登れば峠の難所よりは足がかりがあるだけ楽である。道といふ路形があるわけではなく、足の踏む所がこれ道という風であるから、よく上方の見当を見定めて案内者の足跡を拾って登るのが安全だ。栞となるはずの一木一草もない。自分の足もとにばかり気を奪われ爪先の勝手の向く方へ誘われて行くなら、いつか知らず路を失うことになる。果して角田君がそれをやった。総じてこういう風な石山登りは上から石を踏み崩し転下させる危険がある。なるべく初心者は、登りでは後に、降りでは前に立たせるのが法則らしい。そういう意味合いから、妙義榛名の勇者たる吾が角田君を初心者扱いにした次第でもないが、角田君の足自身が謙遜し、抑々として列の最後を打っていたので、頂上に近い急傾斜の大きな岩を乗り越え乗り越えする辺のところでそれたらしく、一行が気がついた時にはかなり列を離れて絶谷上の危岩にへばりつき、奇声断続、絶体絶命の場合とある。早速案内者が行って扶け起し、笑い笑い戻る。かくいう私も昨日の徳本越えではすこし腹痛て弱ったが今日は格別の故障もなくて、午後二時、まずもって頂上に安着した。
大きな噴口は三個ある。最も大きな頂上の噴口は、横広く、縦やや狭く、ざっと目分量で二百坪程のものだ。周壁は削り取ったように懸垂し、底面はさまで深からず、蜂窩の如く多数の噴口が穿たれ、カァと奈落の底から沸き上る釜鳴りの不気味さ。シュウシュウと窩口響かせて噴出するガス蒸汽のもうもうと上騰する状、まったく凄惨なものだ。底面も周壁も、硫黄に塗れて、ある箇所は黄色を呈し、ある箇所は青錆を帯びている。ぽっこりぽっこり硫黄まんじゅうが見える。むせっぽい特有の匂いが漂う。噴口の右方、標高八千百余尺の一突起は、飛騨側に面し、かなり人を脅かす断崖の谷を開く。角田君観念の遺跡はすぐ下のところだ。左方の一突起の裏面は、梓川峡谷を俯瞰し三千尺ひとなぐりの焼石がらがらの大斜面。ここで転べば大正池の直上まで滞りなく転落して行きそうだ。ざらざら砂礫がずり落ち、あやうく足がさらわれそうな急傾斜を下ったところの右側下に、がぶり一呑みの顎を張り開いているのが大正四年爆発の新裂口で、最も活動が猛烈てある。
頂上の展望はかなり良い。登路の方向を振り返り、焼岳の尾根続きに打ち仰げば、高く北東の一線をひいて彼方へ縦走する前穂高の巉壁が薄く鋭く湾刀の刃を渡した切先の上へ一刎ねしたところが奥穂高の尖りだ。左方眼下の蒲田川水源の底線まで一気に五六千尺を飛騨側へなだれ込んだ谷の深さ、斜面の険しさは、目もくらむばかりである。奥穂高から更に北に、えんえんとして疾走する北穂高の長き連壁の首頭を圧して、すっくりと一尖頭を抽んずる槍ヶ岳の英姿颯爽。我らもやがてその峰頭の客となるのだ。左方鎌尾根から蓮華岳をつらぬる波線のダルミから、五郎岳と水晶山の頭がちょっとこちらを覗く。鷲羽岳の頭は蓮華と重り列び、兄に伴う弟の背伸びがちと足らぬと言った姿だ。左俣と右俣の深い谷の懐を開いて、抜戸(九、二八二尺)から笠ヶ岳と鮮かに眼前に薄って来る。白山の麗貌は、ひときわ高く天際に浮き上り、峠で見るとはまた格別の風姿である。ひとつ大きく左へ飛んで、乗鞍岳のラクダのコブから木曽駒ヶ岳の虎の背に到る、槍から左旋の半円を描いて大凡百八十度の死海はすべて今我らのものだ。
幸いに麗々熙々である。焼岳の煙が飛騨側へなびく日は雨、信州側へなびけば晴れとはこの地方人の占い方だが、今日は公平に真っ直ぐに立ち昇り、煙さきが平等に四方へ開いているなぞと、呑気そうに眺めている人間共には委細構わず、颷颯と一陣の狂風巻き起り、見当なしに噴煙を吹きまくり、灰色雲が一散に頭上をかすめ、大粒の雨滴がぼつりと来た。と、みるみる覆盆の大驟雨殺到。ぴかり、ぐわらぐわら。鳴るわ、光るわ。嶺も呑も一時に震いゆらぎ、電光の火柱眼も向けられず、雨脚強く太く、地上の物皆をしたたかに叩きつけ、四辺ただ瞑濛々。噴口の唸ぎも息苦しい暗惨の境地と化した。意外の激変に度を失い、一たまりもなく逃げ下る人間の小さな胆玉を豆の如く踊らせ嗷雷閃電の威嚇ますます急に豪雨を駆って横に吹きつける気紛れな突風は、我らの足場を脅かして怒り狂い、用意したレインコートもこうなると用をなさず、濡れる、冷える、さんざんの有様。一歩一歩危険を踏む岩角渡りがよくも無事に下れたものだ。峠から下の急坂路は、瀧なす雨水の流れに上滑りがして、つるりと行けば、どしりと来る。金剛杖一本では突張りきれず、柴木から柴木とたぐって渡って、辛くも転落を逃れる。時に四つん這いは勢い己むを得ざる安全策だ。森林中も以ての外楽でなく、雷鳴は少し遠くなったが、風雨は止まず、小枝青葉は千切れ飛び、葡萄大の無数の雫がバチバチと叩きつける。下生の灌木雑木を踏みしだけば、脛も胆もぐっしゃりになる。腋下から背筋から、ぞくぞくと冷気が込みあけ、皮膚一枚の裏側に変に熱気を帯びて来る。これが行詰りの窮谷でなら相抱いて何となる運命か。一寸でも休止すれば、たまらなく戦慄が襲って来る。こんな時にはウンと下腹に気力を込めて、双脚の交互運動を活発にやるのが第一の保身術だ。一杯のプランデーは、この場合、甘い辛いの嗜好品でなく、暖炉に加える一たきの石炭である。とかくして午後四時上高地着。濡れそほたれ疲れ切った体躯を温泉の浴槽に浸け込んだ時には嗚呼からりと天気が晴れていた。
雨後の眺望はまた格別だ。濛気の被衣(かつぎ)脱ぐ山々の、洗いあげた姿の鮮かさ。ぐたりと手足を投け出した二階から、正面に見上る霞沢山の一枚の押し絵貼りつけたように美しく見えたのが、谷々から湧き上る白雲のたたずまい高く低く、一嶺、二嶺、幾重たたむ緑の尾根を掻いつくろい、見えつ、隠れつ、楚々として形づくる。我らを苦しめた大雷雨はやすらかに息づく山を、今我らの目前に展開して、満腹の涼味に陶然たらしめ、天のいずこに音もなく消え去ったことだやら。