2017年7月26日水曜日

赤沢小屋の露営(七月二十六日)後編

 昼食をしたため、休息中、小雷雨が襲って来たが、露営地を急ぐので、雨を冒して登路に着く。足既に槍沢の土を踏んてるぞと思えば、何となく気に勇みがある。梓川は痩せた尋常(ただ)の谷川となる。やや二三町も来た時分に、ふと気がつけば、なんだか一行の影が淋しい。誰かの頭数が不足しているらしい。一同顔を見合って、や、角田君が見えない。おっことして来たぞという騒ぎだ。もう追いつくだろうと待ってみたが、なかなかやって来ない。間違いもあるまいが、昨日の焼岳の例もあり、ある程度の警戒を必要とするので、不安ながら引き返して見たところが、これはまた驚くべし、二の俣の休息地点を幾ばくも距らぬ路傍の樹下に両脚を投げ出し、樹幹に背をもたれかけ、顎を左だり六十度に傾け、降りしきる雨に打たれてすやすやといびき声をもらし、欲もなく、色気もなく、深山大沢跋渉の艱苦も何も忘了して無想円頓の三昧に入っている。お釈迦様が這の境地に達するには、樹下石上六年の忍苦修養を要したそうだが、吾が敬愛する角川君は、わずか三日の難所でこの通りだ。これを揺すり覚ますのはまったく無残だ。このままそっと細君の介抱に移したいところだが、まずまず一杯のブランで我慢して貰って、今日の行程の残りを急ぐ。幸いに雨は途中から晴れたが、路は次第に上りとなる。例の雑草灌木の藪続きに悩まされ、わずか一里を泳ぐようにして三時頃ようやく赤沢小屋に着いた。
 その名の示す如く、なまなましい赭岩の尾根を獣王に踏み伸ばしている赤沢山(八、八一一尺)ふもと、六、二七〇尺の地点に一大巨岩がぬっと額を張り出した下の所が小屋場である。別段小屋の設備があるのでなく、この巨岩の根方に草床を設けて就眠するのだが、一夜十余人を収容し得べくここにテントを張れば、二十余人は雨露を凌げるという究竟の露営地だ。日はまだ高し。樹間に麻縄を張り渡して雨に濡れた衣類を乾すやら、火を作るもの、薪材を樵るもの、テントを張るもの、炊事に取りかかるもの、それぞれに一夜の営みに忙がしい。
 暮れては寝るばかりの露営の第一夜が、黙々としてやって来た。上高地の夜も寂かであったが、其所には相当な建物があり、多数の同宿者があり、人の心を明らくする灯火もあった。灯火のない闇の世界ばかり人心を滅入らせるものはない。谷暗く、山黒く、楽研の隅に一微結晶体のこびりついてるようにちょんぼり白く闇の底に浮き出してる一張のテントの内に、一夜の安眠を託すのは、かなり山岳趣味に徹底し、こうして始めて味わい得る気分だが、何か知らず、陰森として側背に薄り来たる物淋しさはひしひしと心頭にくい入るのである。頭を列べ脚を交えている同行諸君はどんな夢など見ているのか。明日は登る槍の頂上で踊ってでもいるか。家郷の空へひとっ飛びに脱けて行ったか。屈托もなささうにすやすやと眠入っているが、眼を閉じ気息を静めていても、私は容易に睡眠成らず、種々の雑念が脳裏を往来し、あとにして僅かに四五日の家の事、人の事など、三年も経ったような懐しみをそそり、何よりは可愛い孫児の声容がまざまざとそこに浮んで来る。この山登りも結局は何のためか。何物にも替え難い愛孫の祝福を心に抱いて五十年の生涯で初めての露営のテントで寝ているのだ。青技青草の急造べッドは、あまり寝心地が妙でない。平らに敷きならしたつもりでも、不平均にごろごりした触りを生じ、自然と身体のそこここに圧痛を覚えて来る。テントの外では、絶えずばちばちと焚き火をなし、らちもない人夫達の雑談が喧しいことだ。神経はますます高ぶるばかり。たうたつと心臓の鼓動が響きを打って来る。とてもじっとして寝ていられず、ことによったら食べつけない岳わらびの中毒でもと、テント内の酣夢を驚かしたが、後藤君一診して何でもないときまり、ようやく安心して十時頃うとうと眠りに就いた。