二十七日。爽昧四時起床。今日はいよいよ目的の槍ヶ岳だ。一同の面上に生気が動いている。人夫達は心得たもので、手早く朝飯の支度が調う。無器用だが、間に合ったものだ。テントも荷物も下山までこのままここに置いて行くことにして、午前五時四十分、一同軽装で発足する。赤沢小屋場高距六、二七二尺の地点から、直立四千二百余尺の所を僅々一里半ほどで登り詰めるのであるから、今日の行程は存分骨が折れる。梓川に沿って、槍沢を上ること十町ほど、気息がややはずんで来たところで雪渓に達した。日本アルプス中、白馬岳の大雪渓に次ぐという雄大なもので、昔ながら万年雪が、烈日に照りつけられ、凍風に吹き曝され、ざらざらの結晶をなし、ぎっしり層が締っていて、踏みつけても、ぐすりともしない。ところどころにギャップがあり、溝のように裂口を開いている。さして底は深くないが、ぎざぎざの岩角が、残忍な牙を剥き出しているから、落ち込んだら無事ではすまない。盛夏七月、そよそよと揺らめく涼冷の気に浸って、なだらかな雪の斜面を上り行く爽かさは、沁み透すばかりである。雪渓を過ぎれば、草木帯である。登るにしたがって、高山植物の群落が、やさしい無数の花をつけて一年中思うままに一度にとりどりの色に咲き誇っている。何れが何れという名称の花か、我等その方の知識をもたず、ただ単にお花畑で、文句なしにおもしろい。これで脚が軽けれぱ申分ないが、登りはまったく楽でなく、半分は杖が頼りだ。山杖もこの節はアルペンストックの気取ったものもあるそうだが、重くて存外不便らしい。やっぱり長老には払子の格で、型通りの金剛杖が、登山気分に最もよく適うようだが、私の杖は竹の杖だ。伊香保での登山稽古中、西園寺公爵の隠棲をお尋ねした折に、山登りには杖がいる、杖にはこれが一番だと、公爵から贈られたのが、すなわちここに私が手にしている一幹の煤竹の杖である。産地は伊香保近傍らしく、公爵は沢山に貯えておいて、日常愛用していられる。よく東京駅などでお見かけする通りの、かなり丈高い公爵の肩上を抜く寸伸びの竹杖がそれだ。年寄って杖の重いのは億劫なもの、これは軽くて丈夫でいいと、私までを一概の老人扱いには少々恐縮したものの、頃日来、これを登山の実用に試みて、その軽いのが丁度手頃で残念ながら老字否認の理由が立たない。小手下六分目の握り、工合は悪くない。いよいよとなれば、長いのを利用し、斜めに構えて双手でつっぱり、ともすれば踵の後方へずり下がる重心点を爪先の前方へ押上げて一歩一歩を登るのだが、何んの事はない。初心の小船頭が水棹を張る要領といったものだ。赤沢小屋から約一里で坊主小屋へ着く。文政年間、播隆(蟠龍)上人という行者が初めて槍ヶ岳の登山路を踏み開き、ここに参籠した遺跡だということだ。由来がこのようにしてなったことは、世間並みに外れ、驚嘆すべき体力と、忍苦と、一向の信念と、人間以上の者であることを想像させる。小屋とは名ばかりの天然の石窟。一夜の雨露は凌げるが、人間が十分に住むことができるところではない。海抜八千七百四十五尺。かえり見れば、今朝仰ぎ見た赤沢の嶺頭も、手を差し伸べて撫でられそうだ。
これからが大骨折。頂上まで約半里の間は、初めての登山者にとって、まったくやりきれない険難の連続である。登ること数町、殺生小屋がある。坊主小屋から分内やや狭く、前面には形ばかりの防風壁が出来ている。薄刃のような夜風のかげに一夜の夢を託した人たちの手にしたがって積み補ったものらしく、序次なき石塊の堆積である。この辺りから上は、なるほど槍は、と頷く一段の峻険さである。灸は皮切りが一番に熱いという。第一日には徳本の二十八曲り。第二日は中尾峠から焼岳の険と、皮切り二番がすんでいるので、感じの上では、より以上の苦痛とも思はなかったが、脛、腰、その物への利き目は、てきめんに割引なしで、さきに出るのは懸声ばかりだ。こういう際の懸声は、ぴんと張りのある陽声壁でなくて、陰に沈んだあえぎ声である。一行中のさる者が、この無限に繰り返すあえぎ声を韻字にもじって、今回の一行のことを円峰平峰の友と命名したものだ。角田後藤両君の合作らしい。命名の由緒は、「えんほう」は発声、「へいほう」は応声、それ、円峰平峰なんめりとは、山登りにちなむ当意即妙か。なにさま風流は手数のかかるものだ。異曲同巧にして、しかして抜群に奇抜な小話がある。聞くならく、肥後国熊本の城下はずれに、肥取坂というのがある。昔、さる漢詩作りが、肥取坂では尾籠だと呻吟して、これを越鳥坂として詩に詠んだそうだが、その後またそれ以上のさる者が、越の鳥はすなわち鷓鴣だというので、さらに鷓鴣坂と改め、ますます解らないものにして大得意であったという。角田君らの円峰平峰は、それほどに大胆でないだけ、まんざらでない趣もあったが、伊達道具でさきを払った往時の大名行列じゃなし、「えんほう」などは呑気すぎる。事実その通りを言えば、「うむすううむすう」。阿吽の呼吸が合いかねた始末である。